桝一客殿

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小布施堂界隈図
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小布施堂本店 栗菓子おかいもの
小布施堂本店 栗菓子おかいもの

本店は小布施堂の栗菓子全商品がお求めになれる店です。 季節限定の栗菓子は勿論、ここでしかお求めになれない栗菓子もございます。 またご予約いただいたうえで調整する「くりは奈」などもございます。

食事ではお持ち帰りのできない「今月の栗菓子」や「栗のアイスクリーム」がお楽しみいただけます。 小布施においでの節は是非おたちよりください。

営業時間 9時00分 - 17時00分
電話 (026)247-2027

小布施堂本店 レストラン
小布施堂本店 レストラン

小布施堂本店は食事処を併設いたしております。季節の食材を月替わりの内容でお召し上がりいただく和食コース料理です。
「産地から王国へ」のコンセプトを具現化すべく、伝統的地野菜を使ったり、逆に新たな素材の新たな食べ方を提案したり「地野菜のショウルーム」的な役割を自覚いたしております。
9月と 10月のメニューは勿論「栗」がメインとなり、その年の栗の出来具合をお客様自身でお確かめいただけます。

営業時間
お食事 11時00分 - 15時00分
喫茶  10時00分 - 16時00分
※9月中旬〜10月中旬は「栗の点心 朱雀」の提供中のため通常営業とは異なりますのでお問い合わせください。

 ※ご宿泊のお客様のみ
 夕食/18時~20時のご入店
 (秋は18時30分~。
  季節や日によって多少前後する場合がございます。
  ご了承ください。)
 (2日前までの要予約)

電話 (026)247-2027

正門
正門

建築年代ははっきりしませんが、250年前の屋敷図には既に記されている門です。
現在は北側が入母屋造で、南側が切妻造となっていますが、当時は逆でした。

商家である市村家の家門に、当時なぜ完全な武家屋敷造りの門が許されたのかは、不明です。
小布施が天領だったので、禁制が緩かったせいでしょうか。1842(天保13)年、葛飾北斎が初めてこの門をくぐったのは、夜でした。

入母屋造 切妻造
桝一市村酒造場
桝一市村酒造場

栗菓子の小布施堂を営む市村家が、江戸時代宝暦年間より営んできた造り酒屋の屋号が「桝一」です。ここはその桝一市村酒造場の直売店で、店内にはテッパ(手盃)台と呼ばれるカウンターを設けています。テッパとはこの地の方言で、量り売り直飲のことです。

2階は、仕込み時期には蔵人が泊まりこむ部屋となっており、店の一角は「寄り付き」という蔵人の休憩場兼会議室になっているなど、造り酒屋ならではの風情としつらいになっております。

営業時間 9時30分 - 17時00分
電話 (026)247-2011
HP:https://www.masuichi.com/

蔵部 寄り付き料理
蔵部 寄り付き料理

当グループとは別の会社の運営となります。
詳しくは以下のサイトをご確認ください。
「小布施 寄り付き料理 蔵部」
(運営会社:株式会社 フォンス)
https://www.obusekurabu.com



傘風楼
傘風楼 レストラン

北斎館の向かいにある「土蔵にガラスの箱を組み込んだような建物」が傘風楼です。ご宿泊のお客様の朝食をご提供しております。入口ロビーには、栗菓子と栗のアイスクリームの販売コーナーがあります。

営業時間
朝食  7時30分 - 11時00分
栗菓子販売 9時00分 - 17時00分
※季節によって休業、営業時間の変更がございます。
 ご了承ください。
電話 (026)247-2027

鬼場 バー
鬼場 バー

傘風楼の 2階にもうけられているバーです。 地元の土から作られた鬼瓦をインテリアに使ったことから名づけました。
窓越しに眺められる、ライトアップされた酒蔵(桝一)のレンガ煙突が印象的です。


【鬼場の休業のお知らせ】
休業しております。

傘風舎
傘風舎

北斎館から出てあたりを眺めると、「甍の波」が印象的です。
1981(昭和56)年に栗菓子工場を増築するにあたって一番気持ちを注いだのが、この北斎館からの景観でした。
そのため、工場の屋根を瓦葺とし、さらに外壁を瓦材で作られた煉瓦タイルで覆いました。
こうしてできたのが、弊堂の栗菓子工場「傘風舎」です。 それぞれの建物が他の建物からの景観を補完するようなものを建てるという、小布施の作法の草分け的な建物です。

栗の小径
栗の小径

町並み修景事業の一環としてつくられた遊歩道で、栗の間伐材を敷きつめられたことから名づけられました。 その後、来訪者からの強い要望があり、小布施堂の栗畑から栗の木を一本移植したことにより、見た目にも「栗の小径」となりました。

栗の木は水に強く、かつては鉄道の枕木は栗と決まっていたほどです。 また歩いてみると、木の柔らかさと温かみが足に伝わり、歩行者にはご好評をいただいています。

小布施町並み修景事業

小布施町並み修景(しゅうけい)事業は、そこで暮らす人の視点に立ち、小布施堂界隈の町並みを美しく再構築した、1980~87(昭和55~62)年の事業のこと。 行政、個人、法人という立場を違える地権者が、対等な立場で話し合いを重ね、土地の交換あるいは賃貸により、双方に利のある配置換えを果した。
国からの補助金などに頼ることなく、住む人主体で新旧建築物の調和する美しい町並みをつくる新しいやり方は「小布施方式」と呼ばれ、現在に至るまで全国から注目されている。

北斎館
北斎館

昭和40年代(1965~75)、小布施の人々は「小布施の北斎」を世に出そうと、様々な試みを繰り広げました。 その集大成として開館したのが、北斎館でした。

地元に残る北斎の作品の流失を防ぎ、また北斎が天井画を描いたこの町の祭り屋台の保管にも万全を期し、さらには小布施が北斎研究の拠点となるように――さまざまな願いを込めて建設された北斎館は、その後の小布施が進む方向性を決めた建物ともなりました。

HP:http://www.hokusai-kan.com

高井鴻山記念館
高井鴻山記念館

小布施町教育委員会が運営する、高井鴻山(小布施堂、桝一市村酒造場を経営する市村家 12代当主)の足跡を伝える記念館です。
ゆう然楼という隠宅で、江戸時代には文人墨客が絶えない文化サロンでした。

葛飾北斎、佐久間象山、久坂玄瑞、藤本鉄石など幅広い分野の人々が訪ねた場所で、この建物だけは京間サイズで作られています。 東に雁田山を望む 2階の風景には、たしかに東山を望む京都の町屋の風情が漂っています。

電話 (026)247-4049

幟の広場
幟の広場

国道からも見えるスケールの大きな幟旗が、高井鴻山記念館の看板としてここに立てられていることから、「幟の広場」と呼ばれます。 小布施堂、小布施町、長野信用金庫共同の駐車場です。

金融機関は土、日曜日の駐車場利用者が少なく、小布施堂や記念館はその逆であることから、シェアリングの合理性も考えて作られた駐車場です。 時には車を締め出し、イベント広場としても使われる場所で、イタリアの広場などを研究して作られました。

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